子育てをライフワークに

双子男子の父です。子育ては必ずしも親の思いどおりにはならず、毎日歯がゆい思いをしながら、それでも長い目で見てよかったと思えるようにしたいなという思いでブログ始めます。

ガネーシャ

「夢をかなえるゾウ」

 

私が確か25歳くらいの時に読んだ本が実家から出てきました。

内容の詳細は忘れてしましましたが、とても考え方や生き方に対して

影響を与える内容で、しかも読んでいて面白い物語風になっていた

ような気がしました。

 

こんな面白い物語風であれば、ひょっとしたらわが子(小学5年生)でも

読めるのでは。

 

そんな思いから彼らの本棚に忍ばせておきました。

 

あれから3カ月、最初1人が読み始めましたが、すぐにやめてしまいました。

ダメか・・・やっぱり小学生には難しいか・・・

 

しかし、ついに食いついた!

もう一人が最近になり、読み始め、集中力がある子で、一気に半分くらい読み

それから毎日読み続けて、もう一人もそれを見て僕にも読ませてと取り合いを。

 

このチャンスを逃してはいけない。

読み終わる前に、第2巻、第3巻を購入し、本日、第4巻を注文しました。

 

1人目の子は今、3巻を読み進めており、もう一人も1巻を読み終わりました。

いい感じです。

この本から考え方や生き方を学んでくれ!

 

もう来なくていい

事件発生です!

子供が習っているサッカースクールで、コーチから「もう来なくていい」と。

 

2人とも名指しで言われましたので、よっぽどのことをしたのだと思います。

言われた後に、子ども達に何をして怒られたのかと尋ねましたが、

「分からない」 ??

 

それが一番の問題なのだ。

コーチの話では、これまでも何度も注意して、これが最後だからな!と言った

上で、どうやらそれでもやらかしたようで、そのことに対して自分たちが

認識していない。つまり、全く聞いていないのだ。

 

そりゃ何をやっても駄目だわ。

 

まずは、本当にサッカーが続けたいなら、今からコーチに謝っておいでと

2人に行かせました。

 

案の定、コーチのそばでモジモジして、小さな声で何か言ったようですが、

コーチに「もうええって・・・」と言われたと言って戻ってきました。

 

えっ?それでいいの?

これが最後のチャンス(もちろん、コーチが最後のチャンスと言って

それを破った時点で最後のチャンスは終わっているのだが・・・)なのに

それで引き下がってきていいの?

キミたちにとってサッカーはその程度のものだったのか・・・

本当にサッカーがやりたくて、やめたくなかったら、普通は泣いてでも

コーチに訴えるんじゃないのか?やらせてくださいってお願いするんじゃないのか?

 

「もういいわ」って言われて「そうですか」ってその程度の意識だってことだよ。

 

とりあえず、あきれて帰宅し、どうするべきか色々考えました。

 

子どもたちにあらためて聞いたところ、どうやら準備しているときに無駄話を

していて、全然準備していなかったようで、それで怒られたようです。

 

そんなことがあってもなぜ、なんで「もう来んでいい」と言われた理由が

分からないとよく言えたものだ。

 

これまでも何度も言ってるじゃないか。

おまえら上級生が見本を見せなくちゃいけないんだ。お前らがサッカーの

練習中にサッカーと関係ないゲームの話をしていたり、ふざけていてどうする

んだ。そんなことでは、下の子たちはついてこないし、むしろあきれられる

だけだということがなぜ分からない。

 

結局、何度言っても同じことの繰り返しで、今回はコーチの最後通牒を突き

付けられたのだ。

 

そりゃできないわ。だってご飯を食べるときにはおわんを持ちなさいと8年間

毎回言って、いまだに直らないのだから。

 

ふつうは、「もう来なくていい」と言われても、練習の時に何度も何度も

謝りに行かせて、もう一回だけチャンスをもらう姿勢を示すんだろうけど

ちょっとこいつらには無理だわ。

どうせ、許してもらってもまた同じことをして、最後の最後のチャンスも

つぶすだけ。

それよりは、この失敗を彼らの人生において後悔とし、自分の意識を変える

次へのチャンスに変えることの方がいいんじゃないか。

問題は、この失敗を「後悔」と彼らが認識するかどうか。

彼らの意識の中でどうせいつかは戻れるんでしょ。とか

これまでと何も変えないのなら単なる失敗で終わってしまう。

 

できるだろうか?

無理か?

さすがに今度は変わるか?

オレ関係ないよ

子どものサッカースクールを見ていて、高学年の息子たちの様子に

心配になります。

 

とにかくコーチの話を聞かない。

 

コーチがサッカーのアドバイスをしているのに、本人はもちろん

その周りの子も聞かないし、まず話しているコーチの方を見ない。

 

とても信じられません。大丈夫か?このまま大きくなって・・・

 

高学年グループのメンバーに向かって、「ビブスを着て」と声をかけている

のに、呼ばれてこちらを見ているのに、また周りの子たちと話し始めて歩き始める。

 

普通、コーチが大声で叫んでいたら、何だろう?とこちらを見るはずでは?

きっと「俺には関係ない」と思っているんだろう

 

昔、私が小学生だったころの先生に言われたことを思い出します。

「私は関係ないと絶対に言うな!」

生徒全員にこう教えていました。

その時からずっとそれを覚えています。

本当に良いことを小学校で教えてもらいました。

 

子供たちにも何とかそういう意識を持ってもらえるようにしていきたいです。

 

頼むぞ、高学年!

自分の体は自分で守る

歩いていてイスや扉で足の小指を何度も打ったり、

車に乗る時、頭をぶつけたり・・・

そのたびに怒ったり、泣いたり・・・

 

大事なことは

 ・どうして失敗したかを考えること

   →同じ失敗を繰り返さないこと

 ・もしかしたら、こんなことが起きるかもしれないと事前のリスク予知意識

 

今日のHの振り返りでも、書かれていました。

後ろを確認せずに後ろ向きに思いっきり勢いをつけて座るんです。

その時に後ろに座っている人がいたり、今回みたいに物が置いてあったり

後ろの椅子の背に頭をぶつけたり・・・

 

せめて、自分の体は自分で守るためのリスク予知意識は身につけてもらいたい

ものです。

 

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Hの振り返り

 

インベーダーゲーム

本日、偶然満ちていたTV番組「あの日、偶然そこにいて」で、

インベーダーゲームにはまって世界的な研究者となった富田勝慶應義塾大学教授

の言葉を聞いて、先日思っていたことに重なる部分がありました。

 

完全に正しく記憶できておりませんので若干正確ではないかもしれませんが、

ニュアンスはこんな感じでした。

 

人は何らかしら好きなこと、夢中になれるものがあり、それは人によって異なる。

それが富田先生にとってはインベーダーゲームであった。

 

大人は「そんなことをしてどんな意味があるのか?」と言うけれど

突き抜けると人生に大きな影響を与えるものとなる。

 

好きなこと、夢中になれることがゲームでももちろんいい。

親としては、突き詰めるならとことん突き詰めてほしいと

思ってしまうが、もしかしたらそこまで期待してはいけないのかも

しれない。

 

私にとって「昆虫」だったものが、子ども達には「ゲーム」なのかもしれない

ゲームがすべて、ゲームが優先

二人ともとにかくゲームがすべてで、ゲームが優先、

毎日ゲームのことばかり・・・

 

大丈夫か・・・・

 

学校から帰ってきてインターネット環境が悪く、ゲームがつながらないと

携帯に電話をかけてくる(仕事中でも)

緊急事態でないと電話をかけないことと言っているにもかかわらず

 

それもゲームができないじゃないかと怒る始末

 

ちょっとでも時間があれば、YouTubeを見るためにタブレットをせがむ

見るのはもちろんゲームチャンネル

 

サッカーを習っていて、少しでもうまくなりたいなら3分でもいいから毎日

プロの試合やYouTubeでやっているサッカーがうまくなる動画を見たらと

言っても全く見ない

 

宿題をやるのを忘れるが、ゲームをやるのは忘れない

 

宿題や、やらなければいけないことは時間を削るのに、ゲームの時間は削らない

 

ゲームができないと話を聞けと色々言うくせに、こちらの話は全然聞いていない

 

これじゃあだめだと思うけど、夢中になるものがゲームだってことで「ダメ」と言うべきではないのか?

 

親としては一生懸命とか、努力をする経験を積んでほしいと思う

 

サッカーが本当にやりたいんだったら、自主練習をやるなり、YouTubeで動画を見るなり、本を読むなり、練習の時もコーチの話を真剣に聞くなり、メモするなり・・・

努力をしてほしい、少しでもうまくなるような活動をしてほしい

 

そんなにゲームがしたいなら、サッカーやめてゲームをしたら?と言っても

サッカーがやりたいという

 

でも上のようなことはしようとしない

 

でも言われなくてもゲームは時間いっぱいやるし、時間があればYouTubeを見ようとする

 

そしてゲーム中は自分が不利になればケンカし、泣く・・・・

 

彼らにとって、ゲームがすべて、ゲームが優先

 

本当にこれでいいのか?

 

 

お風呂に入っていないんじゃないか疑惑

前も何度もあったことですが、今日は怒ってしまいました。反省

 

帰宅すると、だいたいもう風呂に入ったといってパジャマを着ています。

 

しかしこれまでも不思議なことに、お風呂の床が乾いていたり、スポンジが濡れていなかったり、お風呂の電源がついていなかったり・・・

 

本当にお風呂に入ったんだろうか?? 

ただ着替えただけで入ったと言っているんじゃないか??

 

そして今日も案の定、お風呂の電源はついてなかったし、スポンジはちゃんと壁にかけられたまま、桶も壁にかけられたまま、バスタオルも濡れていない・・・

 

本当に入ったの?

 

入った!

 

お風呂の電源も入っていないのにどうやってお湯を出すの?

 

ちゃんとシャワー使った!

 

でも電源を入れないとお湯が出ないのに。水でシャワーを浴びたってこと?

 

イヤお湯は出た!

 

信してあげるべきか。でも普段お風呂から出ても電気を消さないし、スポンジも桶も壁にかけることもないし、石鹸の付いたスポンジを洗って片付けることもしないのに、どうしてお風呂から出てからお風呂の電源を切ったりするだろうか。

 

信じてあげるべきなんだろうけど、信じられない。

 

「そんなことを言ってたら、宿題とかをやったとか言っても信じられないよ」

 

信じてあげられない。子供たちはブツブツ言っていましたが・・・・

 

やっていないのにやったことにするようなことは覚えてもらいたくない。

でも万が一、本当にお風呂に入っていたら、信じてもらえなかったことは

彼らに申し訳ない。